放浪記
20年以上の世界放浪を綴った自伝的連載。各地での出会いと別れ、日々の断片を残しています。
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共産主義国家中国を旅する話1(放浪記064)
ついに旅立ちの日が来た。 バックパックを背中に担ぎ、実家から出発。 僕は実家の玄関を出た時点で、すでに旅モードに入っていた。

西成での文化人生活の話18(放浪記063)
中国やインドで何かあったら、もう二度と会えないかも知れないと言うことで、親戚にも挨拶回りをした。 幸いにも親戚一同の家は実家から自転車で行ける範囲なので、楽だった。 みんなもう二度と僕の顔を見れないかの様な対応。

西成での文化人生活の話17(放浪記062)
インドへは飛行機を使わずに海路と陸路を通って行くつもりだった。 調べたところによると、中国へのビザは船中で取ることが出来るらしいので、中国ビザの準備は必要ないみたいだ。

西成での文化人生活の話16(放浪記061)
インド旅行へ行く決意をしてからは、順調に準備が進んでいった。 バイト先へバイトを辞めることを伝えた。

西成での文化人生活の話15(放浪記060)
大阪市西成区のドヤ街での暮らしは早くも一年半が経とうとしていた。 この街は面白いほど治安が悪くて、パンク少年の僕はこの街の治安の悪さと言うスリルを楽しんでいた。 ツタヤのバイトが終わるのが夜中の2時、そこからバイト仲間と牛丼を食べ終わり、家に帰るのが3時とか4時。 そんな真夜中に

西成での文化人生活の話14(放浪記059)
深夜バイト勢のミュージシャン達も自分たちのやりたい事を形にしたいと思っていて、自主制作レーベルの立ち上げを検討していた。 そんな中、僕にもレーベルの立ち上げに参加しないかとの誘いがやって来た。

西成での文化人生活の話13(放浪記058)
今回は全記事が完全版となっております。

西成での文化人生活の話12(放浪記057)
ツタヤでの深夜バイトの仲間にカリスマ的な店員が二人いる。 そのうちの一人Mさんはサブカルチャー、特に60年代と70年代のカウンターカルチャー全般に造詣が深い。

西成での文化人生活の話11(放浪記056)
色々なタイプの毒素のある映画に反応してきたが、最も強く僕の人生観に影響を及ぼしたのは、現代に生きる退廃的で暴力的な若者をセンセーショナルに描いた映画だ。 ”La Haine”(邦題、憎しみ)と言う映画に影響を受けてスキンヘッドに近い坊主頭にした。

西成での文化人生活の話10(放浪記055)
僕の心の中の毒素はエホバの証人をやっていた12年間にかけて蓄積されたもので、そう簡単に出し切れるものでも無かったが、音楽や映画という出口を見つけた事で徐々に放出されていった。

西成での文化人生活の話9(放浪記054)
住んでいる部屋の窓ガラスを全部アルミニウムホイルで覆って外の光を遮断し、部屋を映画鑑賞用に改造するほどの熱の入れようで、昼の光を浴びる健康的な生活よりも、映画を集中してみることのできる暗闇を優先していた。

西成での文化人生活の話8(放浪記053)
このころの僕は音源収集という物質欲に激しくとらわれていた。 レコードを収集したり、ツタヤでCDを借りるだけではなく、借りたCDをMDに録音していて、コレクションに加えていた。

西成での文化人生活の話7(放浪記052)
僕たちは時間に余裕のある日を見つけて、朝から中古レコード店巡りをしていた。 よく行っていたのは大阪梅田の近くの電車の高架下にある巨大な中古レコードショップだった。

西成での文化人生活の話6(放浪記051)
兄との音楽ユニットのアイデアはどんどんと進化していき、反著作権主義の思想を込めて活動する、テープコラージュを使った実験音楽家という体裁になって行った。 実際には真剣な思想を持っていたわけではないが、そういう設定にすることを楽しんでいた。

西成での文化人生活の話5(放浪記050)
僕は色々な音楽的経験を積んでいたが、兄との音楽ユニットも独自の進化を遂げていた。 音楽ユニットの名前は、泉北コミュニティとすることにした。

西成での文化人生活の話4(放浪記049)
Gさんはミュージシャンだけあって音楽に詳しく、彼の最も得意とする分野が、ジャーマン・プログレやクラウト・ロックなどとも呼ばれる70年代ドイツのアンダーグラウンドなサイケデリック・ロック・シーンだった。

西成での文化人生活の話3(放浪記048)
兄の元バンドメンバーのGさんもこのビデオ屋で働いていた。 彼はかなり面白い人で、非常に自由に生きており、社会的常識から逸脱したアーティストだった。

西成での文化人生活の話2(放浪記047)
タイ旅行、特に南の島でのノンビリした時間を経験したことで、もう少しゆったりした暮らしをしたいと考えるようになる。 パンガン島で出会った旅人たちは肩の力を抜いて気楽に過ごしていた。 彼らみたいにノホホンと暮らしたい、パンクス的思想だった僕にヒッピー的思想が混じり込んできた。

西成での文化人生活の話1(放浪記046)
3週間のタイ旅行も無事に終わり、西成の一人暮らしのワンルームマンションへ帰ってきた。 旅行は無事だったが、無事ではなかったのが貯金だった。 ピザ屋のバイトで貯めた貯金は引っ越しの準備やタイ旅行の資金に消えた。 ここに住んでいない3週間の間も、家賃は払い続けている。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話12(放浪記045)
楽しかった北部山岳地帯の旅も終わり、再びバンコクに帰って来た。 残り数日で日本への帰国。 バンコクは相変わらず埃っぽくて蒸し暑い。 山岳地帯の快適さとは程遠い。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話11(放浪記044)
次の日、朝日と鳥たちの鳴き声で目が醒める。 山の朝の少し冷たい空気が気持ちいい。 部屋から出ると、すでに朝食が用意されていた。 食事を食べ、荷物をまとめ、出発の準備をする。 今日はいよいよ象に乗る日だ。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話10(放浪記043)
ガイドブックによると、このゲストハウスは山岳民族を象に乗って訪ねるという一泊二日のツアーをやっているらしい。 チェックインしながら、ゲストハウスの人にツアーの詳細を尋ねると、色々と写真を見せてくれた。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話9(放浪記042)
この時にゲストハウスにいた日本人と仲良くなった。 人と気軽に話して友達になるなど、日本ではあり得なかったので、これまた驚きだが、これがタイの魔法だろう。 彼は金髪のガタイのいい東大生で、自称ストリップ研究家だという。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話8(放浪記041)
道端の砂利の上に横になってどれくらいが経ったのだろうか? しばらくの間眠りに落ちていたようだ。 夜は明けかけていて、空は白み始め、ジャングル中の鳥たちが合唱している。