放浪記
20年以上の世界放浪を綴った自伝的連載。各地での出会いと別れ、日々の断片を残しています。
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サハラ砂漠の滝でキャンプする話3(放浪記424)
まず最初に驚いたのが、Yくんが来ていた服だ。 ただのトレーナーのようなものかと思いきや、特殊素材でできており、薄くて軽くて頑丈で、何よりも相当に暖かい。 僕はそんな知識など何もないから、Tシャツを12枚重ね着して寒さを凌いでいたが、Yくんの装備を知ってからは無性に上質の山道具が欲

サハラ砂漠の滝でキャンプする話2(放浪記423)
Yくんは日本で暮らしていたときに、カナダ時代の親友と共同生活していた。 その時の同居人が登山道具関係の会社で働いていたことから、登山関係者と深い繋がりがある。 年末の忙しい時期には、バーゲンセールの手伝いをすることも多いらしく、その伝手を通して登山道具を安く手にいれることができる

サハラ砂漠の滝でキャンプする話1(放浪記422)
トラックを見送った後は、自分たちの旅をする番だ。 僕たちは、それぞれのバックパックと共同生活の残り物の食材を背負い、湖のそばにある滝へと歩き始めた。 30分ほど歩いた後に、滝のある場所へと辿り着いた。 滝といっても色々あるが、この滝は高さが3メートルほどの岩壁から小川が垂れ流れて

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話33(放浪記421)
小屋を借りている期限の最終日にトラックがやってきた。 今まで使っていた日用品をガンドルフさんの住居のあるタンジェへと運ぶためだ。 僕たちは皆、最初から最後までガンドルフさんの世話になっている。 お釈迦様の手のひらの上で遊ばせてもらっているような感じか。 小屋の中をきれいに掃除し、

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話32(放浪記420)
僕たちの共同生活に終わりの時が近づこうとしていた。 そもそもこの共同生活がどのような意味を持っているのかは、誰もまともに理解できていなかったが、それと同時に誰もこの共同生活が無限に続くとは考えていなかった。 その限界は、ガンドルフさんによってもたらされた。 お金が尽きたのである。

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話31(放浪記419)
(この記事は、下記の日付にnote.comへと投稿したものをこのサイトで再投稿したものです。) 前回の記事でガンドルフさんへの感謝を散々述べたことには理由がある。 実は、今日ものすごく久しぶりにガンドルフさんのFacebookを開いたのだ。 ガンドルフさんのことを毎日のように書い

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話30(放浪記418)
僕の反骨精神は半端なく強かった。 それは抑圧された子供時代の反発でもあっただろうし、その後に進んだヒッピー旅人文化の影響も大きいだろう。 だから僕に対して物事を教えるというのは、なかなか骨の折れる作業なのではないかと思う。 特にそれをする相手が経験豊かなおじさんとかだと、なお一層

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話29(放浪記417)
彼のエコロジーに対する考え方は、少し過剰なところもあり、原理主義のように捉えられるかもしれない。 そこには共産主義的な思想の罠や地球温暖化詐欺などが潜んでいるが、この放浪記ではあえて触れないでおく。 気になる方は、僕の情報記事などを調べてください。 僕がガンドルフさんから学んだの

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話28(放浪記416)
僕はこの共同生活で、非常に多くのことを学んだ。 まず、一番大きく影響を受けたのは、エコロジーに対する意識だ。 これは2001年の話で、エコロジーと言う話題は、日本では殆ど誰も話していなかった頃の話だ。 僕はエコロジーという言葉や概念は知っていたが、気にしたことは一度もなかった。

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話27(放浪記415)
僕たちはすやすやと心地よく眠っていたが、その安眠は夜中に妨げられることになった。 風が吹き出してテントを揺さぶり始めたのだ。 だが、日本の台風の恐ろしさを知っていたことが自信になり、砂漠の暴風を舐めてかかっていた僕たちはそのままテントの中で眠り続ける。 風はその速度を増していき、

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話26(放浪記414)
日本に育った人間は台風の凄さをよく知っている。 特に沖縄ではその脅威は人を殺すほどであり、舐めてかかるものなど誰もいない。 僕は大阪の団地に育ったので、沖縄人ほど台風を経験しているわけではないが、それでも強風の恐ろしさはよく知っているつもりだ。 だがそんな強風に対する常識を覆すよ

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話25(放浪記413)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) モロッコ人のおじさん(49)Fさんは、優しい目をした優しいおじさんで、僕とIちゃんに対しては特に優しかった。 もしかしたら自分の子供のように感じてくれていたのかもしれない。 実際に年齢も僕たちの親の世代である。 彼はガンドルフさんの古くからの友

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話24(放浪記412)
Mくんのヒッチハイクは無事に進み、1週間もした頃には無事にドイツに着いたと言う連絡がメールを通して伝わってきた。 ビザの期限を超過したことは国境で問題になったらしいが、罰金を取ろうにもお金を持っていないので、相手にするだけ時間の無駄だと思われて、そのまま国境を越えることができたら

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話23(放浪記411)
Rさんの文無しの厄介さとOちゃんの文無しの力強さの両方を目の当たりにしたMくんには思うところがあったのだろう。 あるとき突然に、ドイツへ帰ろうと考えていると言い出した。 お金は底を尽きていたが、友人に旅費を借りて、自国へ帰って働いて返すつもりだという。 Oちゃんの影響で自由を知っ
サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話22(放浪記410)
RさんとCさんの関係が発展しようとしていた。 だが、恋心が成長するよりも先に、Rさんの共同生活においての厄介さがCさんの頭をもたげていたようだ。 既に色々と煙たがられている上に、一文なしで行く宛のないRさんを受け入れることに抵抗があったのだろう。 数日の間は仲良くなりつつあった二

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話21(放浪記409)
皆で一緒に暮らすにあたって、それぞれがそれぞれの枠割を務める。 僕は重たい水瓶を毎日運んでいたし、人によっては料理したり、買い出しに行ったり、お金を出したり、地元の人との掛橋になったりなどだ。 だが、その中で自分の役割を見つけられず苦しんでいる人が一人いた。 イギリス人女性のRさ

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話20(放浪記408)
10人の共同生活において、僕とIちゃん以外は全員が独り身だった。 ガンドルフさんに至っては、つい先日に離婚したばかりだ。 それぞれが潜在意識的に恋愛関係への希望を持っていたのではないかと思う。 10人のうちの男女比率は7対3と圧倒的に男性が多い。 女性に有利な環境だ。 そんな中で

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話19(放浪記407)
最高に楽しかったマジカル・フルムーン・エクリプス・パーティーは終わりに近づいていた。 夜が白み始め、朝日が登る時間が近づいてくる。 東の空が明るくなり始め、満月は西の空に沈みかけている。 だが、満月は地平線へと沈む前に、明け方の光の中へと消えてしまった。 その直後に地平線から朝日

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話18(放浪記406)
色々な話があったが、一番衝撃的だったのはガンドルフさんの話だ。 彼はなんと、フェスティバルが始まる直前に離婚することになったんだという。 奥さんや娘がいるという話はしていたが、あまり詳しく話さなかったのは、ややこしい裏事情があったからのようだ。 彼は詳しい事情は話さないが、僕とI

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話17(放浪記405)
旅人が集まる場では、旅の話が一番盛り上がる。 誰もが興味があり、誰もが何らかの話を持っている。 僕が興味を持ったのは、DさんとEさんがこの後に向かう旅の話だ。 彼らはこの後に元いた場所に帰るわけではなく、続けてモロッコを旅するわけでもない。 彼らが向かうのはインドだ。 12年に一

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話16(放浪記404)
月にかかった雲だと思っていたものは、実は皆既月蝕だった。 種明かしされても、驚きも感動も美しさも変わらない。 月は赤黒く光り、さっきまで満月の光のせいで見えなかった星たちが一斉に力を取り戻している。 暖かかった月光も今では消え去り、急に砂漠の夜の冷えを取り戻している。 僕たちは焚

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話15(放浪記403)
僕とIちゃんは焚き火から少し離れ、暗闇から美しい満月を眺めていた。 鋭くも暖かい月の光が何とも言えず心地よい。 心なしか通常の夜よりも暖かく感じる。 本で読んだ情報によると、満月の日は半月の日の五十倍の光の強さがあるという。 そんな話を納得できるほどの光の強さだった。 雲ひとつな

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話14(放浪記402)
DさんもEさんも相当に旅慣れているようだが、彼らが持って来ている装備は、旅人のそれではなかった。 Dさんは巨大で10キロくらいはありそうなジャンベ(アフリカ太鼓)を持ち、Eさんは同じく10キロくらいありそうな巨大なディジェリドゥー(オーストラリアの原住民の楽器)を持って来ていた。

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話13(放浪記401)
Mくんの勢いは”いまここ”という瞬間に集約しており、日々を最大に生きることに注がれていた。 それは、逆にいうと長期的な予定を無視しているということにもつながる。 彼の場合は、それがビザ切れという形で現れて来ていた。 モロッコのビザは三ヶ月あり、ほとんどの旅人にとっては十分な期間な